あの歌詞の真意は?

米津玄師「Lemon」歌詞考察:「苦いレモンの匂い」に込められた追憶の真意

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米津玄師「Lemon」歌詞考察:「苦いレモンの匂い」に込められた追憶の真意

米津玄師氏の楽曲「Lemon」は、その圧倒的な普遍性と深みにより、多くの人々の心に深く刻まれています。特に「苦いレモンの匂い」というフレーズは、聴く者に強烈な印象を与え、様々な解釈を呼び起こしてきました。本稿では、この印象的な歌詞を文学的な視点から読み解き、楽曲全体に流れる喪失、追憶、そして微かな再生といったテーマにどのように寄与しているのかを考察します。

この楽曲は、大切な存在を失った後の心情を歌っています。しかし、「悲しい」「寂しい」といった直接的な言葉に終始せず、情景描写や感覚的な表現を通して感情の機微を描き出している点が特徴です。それはあたかも、悲しみが心の一部となり、日常の風景や感覚と分かちがたく結びついているかのようです。

「苦いレモンの匂い」という感覚的な表現

歌詞の中でも特に象徴的なのが、サビに登場する以下のフレーズです。

胸に残り離れない\ 苦いレモンの匂い

レモンという果実は、通常、爽やかさや酸っぱさといったイメージと結びつけられます。しかし、ここではそれに「苦い」という形容詞が添えられています。この一見不調和な組み合わせが、聴く者に強い違和感と同時に、鮮烈な印象を与えます。

嗅覚は、視覚や聴覚以上に直接的かつ情動的に記憶や感情と結びつきやすい感覚と言われています。失った大切な人との記憶を呼び覚ますトリガーとして「レモンの匂い」が選ばれているのは、五感の中でも特に個人的で曖昧模糊とした性質を持つ嗅覚が、言語化しがたい複雑な感情や曖昧な記憶の領域と親和性が高いためと考えられます。

さらに、「苦い」という形容詞が加わることで、この匂いが単なる懐かしい記憶の呼び水ではないことが示唆されます。それは、失われたものの不在、別れに伴う痛みや後悔といった、喪失そのものの「苦さ」を伴う追憶なのです。甘く美しい思い出だけでなく、現実としてその人がもうここにいないこと、そしてその事実を受け入れなければならないことの痛みが、この「苦い」という一語に集約されていると解釈できます。詩的な換喩、あるいはシネクドキー(体の一部で全体を表すような修辞法)として、この「苦いレモンの匂い」という感覚的な断片が、喪失に伴うあらゆる感情や記憶全体を象徴しているとも考えられるでしょう。

「あれからあなたはわたしにとって灯台のよう」にみる追憶の性質

もう一つ印象的な比喩として、以下のフレーズが挙げられます。

あれからあなたはわたしにとって灯台のよう

灯台は、暗闇の中で船を導く光、安全な場所への道標といったポジティブな役割を担う建造物です。しかし、同時にそれは陸地に固定されており、船がどれほど近づこうとも、物理的に触れることはできません。

失った大切な人を「灯台」と表現することは、その人が今なお自身の人生における指針や希望であり続けていることを示唆しています。その存在は消えても、生前の教えや共に過ごした時間、あるいは単なる記憶そのものが、生きる上での「光」となっているのです。しかし、「灯台」であるということは、同時に「あれから」、つまり死別してからは、もはや触れることも、言葉を交わすこともできない、遠い、手の届かない存在になってしまったという現実をも突きつけます。この比喩には、失った人への尊敬や愛情と同時に、どうやってももう二度と現実世界では結びつけないという、悲しくも受け入れざるを得ない真実が込められていると言えるでしょう。希望でありながら、決して到達できない場所にあるという二重性が、喪失の深い悲しみを静かに物語っています。

喪失の中に見出す微かな再生

楽曲は、単に悲嘆に暮れるのではなく、喪失を受け入れ、それを抱えながら生きていこうとする意志をも滲ませています。「雨が降り止むまでは帰れない」といったフレーズは、悲しみという名の「雨」が止むまでは、日常に戻れない、あるいは悲しみと共に歩むしかないという覚悟を示唆するようにも聞こえます。

そして、最後のフレーズ「切っても切っても増えるわたしたち」は、レモンの実を切っても種があり、そこから新たな芽が出る可能性を連想させます。これは、失われた命が直接戻るわけではないものの、残された者の中でその人の記憶や影響が生き続け、新たな形で「増えて」いく、つまり未来へと繋がっていく可能性を示唆しているのかもしれません。深い喪失の中にありながらも、過去を受け止め、そこから何かを生み出そうとする微かな「再生」の希望がここに込められていると解釈できます。

まとめ

米津玄師氏の「Lemon」は、「苦いレモンの匂い」や「灯台のよう」といった感覚的・比喩的な表現を巧みに用いることで、深い喪失に伴う複雑な感情や追憶の性質を鮮やかに描き出しています。直接的な言葉を避け、五感に訴えかける詩的な言葉遣いは、聴く者それぞれの経験と結びつき、普遍的な共感を呼び起こします。この楽曲は、失った存在をただ悼むだけでなく、その不在を抱えながらも生きていく人間の内面を、文学的な深みをもって描き出した作品と言えるでしょう。歌詞に込められた多層的な意味を読み解くことは、私たち自身の喪失や追憶と向き合う上での新たな視点を与えてくれるかもしれません。